もしもし、今日も読んでくれてありがとう。
非常に強引だが、もしもしと言えば電話だ。
あなたは電話をどれくらいするだろうか。
私などは電話が好きでいろんな人と長電話、短い電話含めてたくさんする。
しかし、ずっとしゃべり続けることはほとんどなくむしろ人生で今までにした電話の総時間の半分以上は両者沈黙であったのではないかとも思えるくらいである。
人と話すのが好きというよりは、人と意識上で同じ空間を共有しているのが好きなのだ、一人でいるのはさみしいので。
お互いが別々の行動しているその生活音だけが電話を通して聴こえてくる、そのような瞬間がたまらなく好きなのだ。
もちろん話だってする。「最近どう?」「雨が続くね」など挨拶のような軽い会話だけの通話もあれば、お互いに酒とつまみを買ってきて夜通し通信ゲームをしたり、愚痴を言いあい悩みを相談しあういわば”オンライン宅呑み“みたいなことをするときもある。
大学に入って初めて好きな人ができた時は、夜にドキドキしながらお互いほとんど喋らないような電話もした。
今となってはいい思い出だ。
え、その人とはどうなったかって?お約束の展開、『それはまた別の話』。
またいつか話す機会もあるだろう。
さて、電話と言ってもなにからかけるか、なににかかってくるかで随分と変わってくる。
家の固定電話での通話は落ち着かない。受話器が大きくて重いし、線でつながっているし、なにより家族との共用なので長いと怪しまれるかななどと要らぬ心配をしなければならなかったりする。
その点公衆電話は安心だ。
個室にこもって電話できるし誰かを気にしなくていい。
それに、電話中に変わりゆく外の景色を見られるので楽しい。
最後は携帯電話とスマートフォン、この二つの自由度は評に高い。
なんたって持ち運びが便利で軽い、電波の届くところであればどこからでもかけることが出来る。
普段ずっとスマホを触っている我々であるけれど、その有難さを電話の掛けやすさという点で感じることは少ないだろう。
ところで、携帯電話とスマートフォンの電話の大きな違いはなんだろうか。
それはイヤホンをつけて電話できるかどうかということではないかと思う。
ずっと正しい向きで顔の側面に添えていないと相手にも自分にも声の届かない仕様になっている携帯電話と違って、イヤホンで電話ができるスマートフォンはポケットに入れたままでも電話ができる。
洗い物をしながら電話した時などはこの機能にあらためて感謝したものだ。
それに、イヤホンをしながら電話すると、画面を見ることが出来る。通話中に相手とのトークを見返したりもできて楽しさは倍増だ。
私にとって電話は空間の一部を共有するためのどこでもドアのようなものだ、ベルとエジソンに感謝である。
あと、ジョブズにも。あなたも今晩電話するのはどうだろうか、私も久々にあの人に電話してみようか、なんて。
それではまた。
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